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2007年8月 5日 (日)

桂枝雀の「どうらんの幸助」

19_8_4_1_2明治初年の頃、上方では文楽が流行っていたそうで、お稽古ごとも一つの遊びで長唄や踊りや浄瑠璃の稽古屋が有ったそうです
今の時代では考えられないですが昔の上方や江戸の方が娯楽が今の時代よりも文化的だったのかと思ってしまいます
文楽の「桂川連理柵」を知っていると「胴乱の幸助」の面白さが一層分かるのですが文楽を知っている人は今の時代では少ないのが実際ではないでしょうか

ここで「帯屋」とか「お半長」と出てきても何の事か分からないでしょう
まして幸助が静八と喜六の揉め事をおさめて辻をぐるっと回って浄瑠璃の稽古屋さんの格子造りから中を見て「帯屋」を師匠が歌朴に稽古を付けているところ出の勘違いの場面も「桂川連理柵」を知らないとの面白さが半減してしまいます

「お半長」は「お半長右衛門」人形浄瑠璃「桂川連理柵」の通称の事で舞台は京都です

京都の虎石町の帯屋には繁斎という隠居がいて捨て子だった長右門を五歳の時に養子に入れている
長衛門は隣の家の信濃屋で捨て子だったのを育てられ帯屋に五歳の時に養子にもらわれて帯屋の主人になる
信濃屋にはお半と言う14歳の娘がいて長衛門を慕っている
長右門はお絹をと言う良妻がいるのだが、繁斎はおとせと言う後妻をめとったがおとせには儀兵衛と言う連れ子がいておとせは儀兵衛に家督を継がせたいと思っていた
結構複雑な人間関係ですが問題は40歳前の長衛門が14歳のお半と出来てしまってお半が子を宿して最後は桂川に心中と言う話です

割木屋の幸助さんは60才近くまで働いて働いて一代で身上を築き上げたのですが男の三ダラ煩悩「呑む打つ買う」を全く知らなくて今はご隠居の身でお金はどれだけでも使えます
幸助さんの一つの道楽は喧嘩の仲裁に入って納める事で

清八が喜六に・・・
人がワァ〜ッと喧嘩してる「待ったぁ、わいを誰や知ってるか?」
「割木屋の親っさんでんなぁ」とか「胴乱の幸助はんでんなぁ」ちゅうてくれたら、え
ら収まりや・・・
「わいを知ってくれてるとは嬉しぃやっちゃなぁ。でや、この喧嘩わいに任すか?」
「任します」っちゅうたら・・・
「よし、こっち来い」ちゅうて近所の小料理屋へ引っ張ってって、双方にせんど酒呑まして・・・
「よぉ〜し、この喧嘩、わいが預かった。もぉ喧嘩するねやないぞ。仲良ぉせぇよ」
幡随院長兵衛は俺でございっちゅう、あれが親っさんの道楽や。

清八と喜六は悪巧みで喧嘩を芝居したのが実際の喧嘩になりなんとか幸助三からお酒を飲む事が出来たのですが幸助さんは静六と喜八の喧嘩の仲裁で刃物足りずもっと大きな喧嘩の仲裁をしたいと思ってます

幸助はん
「しかし・・・  まぁ、ホンマのところ、これぐらいの揉め事では気が納まらんなぁ。
もっとドスの五、六本もビヤァ〜ッと乱れ飛んでる中へビヤァ〜ッと割って入って、
この眉間へさして刀をブワァ〜ッ、血がタラタラタラァ〜ッ・・・
といぅてそのまま死んでしまうといぅ大きな傷やなしに、もぉ血ぃはぎょ〜さん出るかわりに、
ものの十日もしたらすっかり治ってしまうといぅよぉな傷・・・
で、そのかわり傷痕だけははっきり残っているといぅよぉな傷を受けて、
もぉ 後々「三日月の親っさん」とか「向こぉ傷の親っさん」とか言われてみたいもんじゃ
ありがたいこっちゃねぇ……」

それからがお半長の勘違いをしてしまい浄瑠璃とは知らずに・・
と言っても道楽を知らない幸助さんは浄瑠璃が何かも知らないので柳の馬場押小路、虎石町の西側で主が帯屋長右衛門……を探しに行きます

もう理屈抜きに面白い枝雀師匠の噺です

また噺の筋をほとんど書いてしまいましたが下げは書いていません


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