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2010年6月20日 (日)

恩師N先生

Mizubasyou2

今日、日曜日の夕方に新聞の地方記事を読んでいた時にヒメコウホネの保存の記事が目に入って読んでみると最初に自分の恩師のN先生がヒメコウホネの保存に力を尽くされていた事が書かれてしました

「あの人がいなければ、この風景はなかったかもしれない・・・  一人の植物研究家の思いが秘められている」

えっ!! 先生はご存命じゃなかったのか・・・

先生は高校の恩師で3年間の担任で生涯一番の恩師であったが卒業してからは特に会いに行くこともなかったが自分の自然に対する考え方と生き方に一番影響を与えてくれた先生・・・

蛭ヶ野高原の水芭蕉のことなら先生に勝る人はいないし、高校卒業後の進路を決めてくださったのも先生でした

先生のことは社会人になっても気になって、ネットが一般的に使えるようになってからも先生の活動はネットでも検索できました

双六小屋でたまにセミナーをされていることを知って何時か会いにいかなければと思ってもいました

自然保護、アウトドアの活動・・・
今なら一般的ですが35年ほど前には今ほど当たり前でなく、その時に蛭ヶ野高原の水芭蕉の保存に熱く語られていた先生でした

新聞に載っている写真は記憶の中の先生と変わらぬ若い姿で微笑んでいらしゃいます

おそらく突然に伺っても自分のことを記憶してくださっていると思っていました

校長先生になられたのも知っていた、学校をやめても自然保護の活動をされていたのも知っていました

3年前にお亡くなりになったとは・・・

享年64歳と書いてありました
若すぎるお年でした
会いに行くべきだったと悔やんでいます・・・


蛭ヶ野高原の水芭蕉の写真です
撮影したのは1999年初夏でした

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コメント

こんばんは
ひるがの高原ですか、自分は何回かいきました
大日が岳に登るのに
水芭蕉も見ました、4月に登って雪がまだまだあって
アイゼンつけて登りました、頂上からの白山の景色が
とてもすばらしかった・・
35年前・・自分は中学生のころですね、あの頃はまだアウトドアという言葉もなかったように思います。
ハイカーという言葉は健在でした(今は死語)

投稿: ken | 2010年6月21日 (月) 23時15分

kenさん

蛭ヶ野高原は分水嶺が国道の脇にあるのでも有名ですね
白川郷に行くのに以前は東海北陸道がなく156線で行くからどうしても蛭ヶ野高原を通りました

今の蛭ヶ野高原は見る影もないくらいのリゾート地と化しています
でも最近は人気がなくなってきたような・・・

ハイカー 確かに死語でしょうね
そろそろ鳥居峠をやりますか(笑)

投稿: マサヒ | 2010年6月22日 (火) 21時24分

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