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2018年7月22日 (日)

仁田四郎由定のこと  (櫨原)

30_7_22_8
徳山会館でクルミで作った瓢箪のキーホルダーを買った
どこでお金を支払ったら良いか分からない
盗んでも分からないだろうね (´∀`o)
だけど俺は徳山会館の受付の窓口の人に支払いをお願いした
その人で良かった
ほんで その人と長話になってしまった
なんで長話になったかは分からない
最初は徳山の山の話で冠山や高倉峠や蕎麦粒山や千回沢山から熊の話になった
それから徳山村の昔話になった
北方に徳山村の昔話集が2冊ある
徳山会館にもある
北方に有るのは おそらく 徳山の住民が移住してきたところが本巣に有るから誰かが北方図書館に寄贈したんだろうね
受付の人は本は彼の時代の本で絵は彼の同級生か先輩の書かれたものだと言われた
この事で長話になった
仁田四郎由定のこと  (櫨原)
俺はHPに美濃の昔話をアップしている
版権なんて50年以上も前の本で有る筈が無い
彼に聞いても無いと言ってくれた
本で気になるのは新田義貞の事
太平記の時代
新田義貞は越前で死んだ
でも徳山では新田義貞でなく仁田四郎由定で伝承が有った
どんな伝承?
書くには長すぎる
ほんでね
仁田四郎由定の御墓は徳山村に合った
だけど岐阜新聞の源流を訪ねてのVでは御墓は行方不明になったと書いてある
徳山村は湖底に水没したから
 
彼に聞いてみたら ある場所に移設してある
今も有る
やっぱり源流を訪ねてに写真も有るのが行方不明になるなんて納得できなかった
彼は徳山の住人で今は根尾に住んで見えて徳山会館の受付にいる
 
俺はね
子供の時に亡くなった親人に徳山村に何度も連れて行ってもらった
初めて買ったシビックの初代で馬坂峠のトンネルをくぐって徳山村までドライブした
桃源郷のような村だった
嫁さんとドライブも徳山村
 
ほんで徳山村の昔話を誰かがキンドル化してくれないかな
彼も望んでいた
おそらく徳山の昔話集は徳山村の小学生と教育関係者に配られただけ
俺がHPにアップしているのは仁田四郎由定と蛇の菖蒲の話だけ
本をスキャンしてテキストで起こしてHTMLにしたが二つの話で終わっている
全てテキスト化してキンドル化するのは今の俺には仕事の時間が有るから無理
忘れていた徳山の昔話を思い出した
 
少しずつテキスト化してHPにアップして ゆくゆくはキンドル化するのが俺の使命かな
 
徳山までドライブして意外な事ばっかりの話になった
行って良かった
徳山の村を今でも覚えている
彼も徳山野村が今でも残っていたらと言っていた
 

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